和泉式部の瘡を癒やした法華嶽の薬師
どんな伝承か
『太宰管内志』の日向の条によれば、諸県郡高岡郷の真金山法華嶽寺には伝教大師作という薬師像があり、三河の鳳来寺、越後の米山とともに日本三薬師に数えられた。長保のころ、和泉式部は体に悪い瘡を患い、日向の真金山の薬師に祈れば治ると清水観音に教えられる夢を見た。式部はこの寺に詣でて長くこもったが験がなく、薬師の名が惜しいと恨む歌を詠んで千尋の谷へ身を投げようとした。そのとき薬師が、村雨はひとときのもの、身の笠(瘡)はそこに脱いで置けと歌を返し、かき消すように姿を消したという。それからこの所を身投げの岳と呼び、式部が弾いたという古風な琵琶も残っている。
原典より
さて長保の比和泉式部身に奇しき病(カサ)ありて夢に日向國真金山薬師に祈らば病いえなむと清水観音のをしへ給へると見てさめぬ。—— 炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年))
『炉辺叢書 筑紫野民譚集』は、及川儀右衛門が筑紫野で暮らした二年ほどの間に、土地の故老や下宿の老婆から聞いた話、教え子が書き送ってきた物語を文献とも照らしてまとめた民譚集である。筑後を中心に筑前・肥前・肥後・豊前・豊後の河童、怪火、長者の話、神事と歌舞、山と水の伝奇、狐狸や幽霊の怪異を六篇に分けて収め、多くの話に古記録を引いた〔註〕を添える。序の日付は大正十二年六月である。