床島の堰に沈んだおさよの人柱
どんな伝承か
筑後川はたびたび氾濫し、享保五年六月の洪水では死者六十一人を出したと久留米小史は伝える。とりわけ三井郡床島は支流の集まる地で、少しの出水でも夥しい害を受けた。ある日、白髪の老爺が現れ、枝川を堰き止めよと言い残して去った。村人が俵に砂利を詰めて堰いても翌朝には流された。再び現れた老爺は、六歳から十二歳の女児を生きたまま俵に詰めて流せと告げる。誰も娘を出さぬなか、百姓吉兵衛の一人娘おさよが自ら人柱に立ち、水底へ沈められた。六日後に堰が成り、俵から出た亡骸を老爺が撫でると、おさよは目を開いたという。
原典より
何處からこもなくまた現はれてきた老爺が皺だらけな手でおさよの屍骸を二三遍撫でるこ眠つて居たのが起きたやうにおさよは眼をみひらいた。—— 炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年))
『炉辺叢書 筑紫野民譚集』は、及川儀右衛門が筑紫野で暮らした二年ほどの間に、土地の故老や下宿の老婆から聞いた話、教え子が書き送ってきた物語を文献とも照らしてまとめた民譚集である。筑後を中心に筑前・肥前・肥後・豊前・豊後の河童、怪火、長者の話、神事と歌舞、山と水の伝奇、狐狸や幽霊の怪異を六篇に分けて収め、多くの話に古記録を引いた〔註〕を添える。序の日付は大正十二年六月である。