菅公が天に訴えた天拝石
どんな伝承か
太宰府天満宮へ向かう汽車が二日市に着くと、南西に、頂に松をちょんと挿したような天拝山が見える。その頂には、菅原道真が無実の罪を天に訴えたという天拝石(天判石とも)がある。藤原氏の仕打ちを無念に思った道真は、天に訴える告文を書き、七日間身を清めて山に登り、この大岩に座って告文を高く掲げ一心に祈った。すると空がにわかに曇って激しい嵐となり、雷鳴のなか告文は空高く巻き上げられて消えた。道真が喜んで天地の神々に感謝すると、風雨はいつしか収まり空は晴れ渡った。岩には今も道真の足跡が残るとされ、しめ縄を張って神聖なものとしている。
原典より
こころが不思議にも一天俄にかき曇り大暴風雨になり雷電のこ、ろきすさまじく忽ち告文を空高くまき上けて見えなくなつた。—— 炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年))
『炉辺叢書 筑紫野民譚集』は、及川儀右衛門が筑紫野で暮らした二年ほどの間に、土地の故老や下宿の老婆から聞いた話、教え子が書き送ってきた物語を文献とも照らしてまとめた民譚集である。筑後を中心に筑前・肥前・肥後・豊前・豊後の河童、怪火、長者の話、神事と歌舞、山と水の伝奇、狐狸や幽霊の怪異を六篇に分けて収め、多くの話に古記録を引いた〔註〕を添える。序の日付は大正十二年六月である。