楠次郎さんとレモン油(ハイカラな先触れ)
どんな伝承か
重兵衛の長男楠次郎から英語の手ほどきを受けた。楠さんは独学で法律を学び、のちに裁判所の書記に採用された人で、自宅では勉強ができないからと円行寺橋の袂にあった老人夫婦の家の静かな座敷を借りて下宿していた。ある夏の午後、そこへ英語を習いに行くと、コップ一杯の砂糖水に茶褐色の薬液を一滴垂らされた。液はぱっと広がって水は乳色に変わり、飲むと名状しがたい芳烈な香気が鼻と咽喉を通って全身にみなぎった。レモン油というものだと教えられた。明治十七、八年頃の片田舎としては驚くべきハイカラであった。
原典より
コップに一杯の砂糖水をつくって、その上に小さな縁に入った茶褐色の薬液の一滴を垂らすと、それがばっと拡がって水は乳色に変わった。—— 怪異考 - 化物の進化(寺田寅彦) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
怪異考 - 化物の進化(寺田寅彦)
『怪異考 - 化物の進化』は、物理学者寺田寅彦が大正九年から昭和十二年にかけて雑誌・新聞に書いた随筆と談話を集めた本である。土佐の「孕のジャン」や濃尾のギバを地鳴りや空中放電で説く「怪異考」、昔の人が化物を自然現象の説明に用いたことを論じる「化物の進化」のほか、人魂、狸の腹鼓、厄年、夢判断などを科学者の目で語る。各篇の末尾に初出の年月と掲載誌名を記すが、「狸の腹鼓」だけは「単行本未収録」とのみ記す。