伊勢の大神が降ったと殺到した勢見の山
どんな伝承か
阿波で最も多くの人が参ったのは徳島の勢見の金比羅宮で、山上に伊勢の大神が降臨していると噂され、御蔭参りの伊勢に取って代わったかのようだった。日川龍蔵は、大木の方から踊ってきた一団に無理やり引っ張られて参り、正月二、三日まで帰らなかった。関口萬平は藍玉を積んだ舟で徳島へ着くと、金の御降りがあったと聞いて舟を捨てて踊りに加わった。七、八歳の山口亀吉は赤い褌で踊って向かったが、途中で凍え、祖父に背負われて帰った。境内は鳥居から石段、拝殿まで踊りの渦で、中川鶴吉らが山の木陰に動く白いものを神の出現かと見守ると、千早に御幣を持った人間だったという。
原典より
阿波の國に於て最も多数の人々が參詣したのは、徳島勢見の金比羅宮であつた。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年))
『阿波えゝぢやないか』は、山口吉一が一九三一年に著した、幕末の「ええぢゃないか」騒動の記録である。慶応三年の暮れに阿波で起きたお札降りと踊りの騒ぎを、県内の古老五十余人からの聞き書きと郡村史誌などの記録によって、起因・神異・服装・歌謡・禁忌などの面からたどる。徳島日々新報への連載をまとめたもので、概観篇・詳述篇・挿話篇・補遺篇から成り、鳥居龍蔵の序、話者の古老の一覧、太田明の「御下り踊私考」を付す。