酒を逃れた下戸が浴びた酒
どんな伝承か
踊子の行く先々には酒や餅や草鞋の接待が数えきれぬほどあり、酒を飲ませる所では菰樽の鏡が抜かれて柄杓が四五本も添えてあった。好きな者は先を争って呑んだが、下戸はなるべく避けて小さくなって通らねばならない。ある所では菰樽の側に人がついて一人ずつに酒を飲ませており、呑んだ呑まぬの押し問答の末、酒嫌いな踊子がするりと抜けて行こうとすると、後ろから背中から頭へかけて冷たいものがざぶりと来た。酒を浴びせかけられたのである。
原典より
踊子の行くところ、酒、餅、草鞋などの接待が算へつくせぬほどあつた。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年))
『阿波えゝぢやないか』は、山口吉一が一九三一年に著した、幕末の「ええぢゃないか」騒動の記録である。慶応三年の暮れに阿波で起きたお札降りと踊りの騒ぎを、県内の古老五十余人からの聞き書きと郡村史誌などの記録によって、起因・神異・服装・歌謡・禁忌などの面からたどる。徳島日々新報への連載をまとめたもので、概観篇・詳述篇・挿話篇・補遺篇から成り、鳥居龍蔵の序、話者の古老の一覧、太田明の「御下り踊私考」を付す。