井川翁の座敷に降った大黒天像
どんな伝承か
昭和五年、著者は徳島市大道二丁目の小路に住む弘化生まれの井川源三から「ええぢゃないか」で伊勢参りをしたと聞き、後日改めて訪ねた。家を取り違えて他家で難儀した末にようやく再訪すると、老人は津田から船に乗り兵庫へ上がって踊りながら伊勢へ詣で、帰りは伏見の戦に行き合ったと語った。話の末に老人は筐から包みを出し、これがうちへ御降りなさった大黒さんだと塑製の小像を見せた。像は藍屋町に住んでいた頃に座敷へころりと降ったもので、のちに老人の死後、著者はその像を譲り受けたという。
原典より
昭和五年五月、公務を帯びて其の調査に行つた際、大道二丁目のとある小路の二軒目に井川源三といふ弘化生れの老人のあることを知り、且つ其時の寸話に「え、ぢゃないか」で伊勢参りをしたと聞いたので、何れお話を承りに参りますといふこ…—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年))
『阿波えゝぢやないか』は、山口吉一が一九三一年に著した、幕末の「ええぢゃないか」騒動の記録である。慶応三年の暮れに阿波で起きたお札降りと踊りの騒ぎを、県内の古老五十余人からの聞き書きと郡村史誌などの記録によって、起因・神異・服装・歌謡・禁忌などの面からたどる。徳島日々新報への連載をまとめたもので、概観篇・詳述篇・挿話篇・補遺篇から成り、鳥居龍蔵の序、話者の古老の一覧、太田明の「御下り踊私考」を付す。