たった一人の中学卒業生 松本友吉
どんな伝承か
郷土史家が新聞に寄せた文を引いて、斐太中学校のころの様子を伝える節である。明治二十三年に小倉の制服が定められたが、袖の緑の紐は評判が悪く、のちに黒へ改められた。制服一式は当時の米の値段に比べてかなり高価だった。山王祭に生徒が制服姿で見物に出ると、洋服が珍しかったため町の人から「サルが出た」と囃されたという。同年四月三日の第二回卒業式で卒業したのは、のちの福来友吉である松本友吉ただ一人だった。校長や教諭、在校生が祝辞を贈り、松本は飛騨の有力者と校長の功績をたたえる長い答辞で式を結んだ。
原典より
卒業生は松本友吉、後の福来友吉ただ一人であった。—— 念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・1980年(昭和55年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・1980年(昭和55年))
『念写発見の真相』は、飛騨に住む山本健造が著した福来友吉の伝記と学説紹介の書で、はしがきは昭和五十五年十一月三日付である。念写を発見した福来の幼少期から、東京帝大での透視・念写実験と追放、宣真女学校長・高野山大学教授の時代、仙台での晩年までをたどり、著者による高山市の福来博士記念館建設の経緯や六次元の原理を述べる。全十五章からなり、第二章に福来の論文「弘法大師の御霊影」を再刊のことばとともに収める。