凶作の冬に金百疋を賜った医師七人
どんな伝承か
天明五年正月十二日、守山領は領内の医師七人に金百疋ずつを下した。前年秋の凶作で百姓は困窮し、口にできぬものまで食べたために病人が続出し、そのうえ村々には疫病がはやっていた。医師たちは昼夜を分かたず療治に骨を折ったが、凶作の続く年柄で相当の薬礼を払える家はほとんどなく、その労に報いるための褒賞であった。名を連ねたのは山中村の英庵、大善寺村の祐俊、上行合村の玄依、下行合村の玄清と祐智、北小泉村の祐益、そして三城目村の円通寺で、円通寺は診療にも従事した僧医であったとみられる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
疫病と狐憑き-近世庶民の医療事情(昼田源四郎・1985年(昭和60年))
『疫病と狐憑き-近世庶民の医療事情』は、精神科医の昼田源四郎が昭和六十年に著した、江戸時代の村の医療を描く本である。奥州守山領(現・福島県郡山市の一部)の『御用留帳』を主な史料に、村人の暮らし、医師と医道修行、疫病と祈禱、湯治、乱心と狐憑き、受刑者の治療、行倒れの継ぎ送り、間引きと養育手当などを、書き下した原文を引いて跡づける。序と凡例、全八章、あとがき、注、索引からなり、発行所はみすず書房である。