疱瘡を軽くするいも大明神の水
どんな伝承か
寛政八年の冬から九年の春にかけて疱瘡が流行し、著者の家の子もかかった。かかりつけの小児科医木村元長が言うには、ある家の子らはそろって軽く済んだが、神奈川宿の先の本目という所にあるいも大明神の水を飲ませたからだという。試しに召使いを水汲みにやると、小さな祠のまわりにわずかな溜まり水ほどの池があり、柳一株のほかは一面に芋が生え、正月なのに茎や葉の残る芋もあった。池のそばの庵の禅僧は縁起もなく、利益があるかは知らないと答えた。近所の老婆は、この芋は若いころから減りも増えもしないと語り、水でなく芋を取った者の子はひどく苦しんだという。江戸からも水を汲みに来る者が多いという。
原典より
近隣の老婆の右召仕ふ者に語りけるは、右芋は彼姥が若かりし時よりへりもせずふへもせざるよし。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。