羊太夫の碑と伝わる池村の多胡碑
どんな伝承か
浅間山の噴火のあと関東の村々を廻った折、著者は上州の池村で一基の石碑を見た。世間では陸奥の壺の碑を古物として名高いとするが、池村の碑をたたえる人はいない。土地の者に聞くと、和銅三年に上野国の甘楽・緑野二郡を割いて片岡郡とし、羊太夫という者に与えた時の碑だという。碑面はいかにも古く文字も見事なので、著者は石摺りにして持ち帰った。続けて引かれた考証では、これは和銅四年に多胡郡を置いた時の碑で、文字が読みにくいため土地の人が羊太夫の碑と誤って伝えたもので、羊は半の字の誤りだろうとしている。
原典より
其土俗に聞しに、「和銅三年上野国甘楽郡・緑埜郡の内を割て片岡の郡として、羊太夫といふ者に給はりし碑」の由。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。