祭礼の賽銭を貯えようとした者への罰
どんな伝承か
日光の祭礼には、近郷近在から五里十里の外まで老若男女が集まり、木の枝や柵の陰まで見物人で埋まる。神輿の渡御の時には賽銭が雨や雪のように降り、しばらくは地面の色が変わるほど銭が敷き詰められる。神人や輿を担ぐ神領の百姓、見物の子どもがそれを拾うので、著者が大楽院に、この賽銭は別当に納まるのかと聞くと、渡御の賽銭は一銭も別当には納めず、拾った者がその日の飲み食いに使うのだと答えた。拾った銭を守りにしたり酒食に使ったりする分には祟りはないが、多く拾って自分の蓄えにしようとする者はたちまち罰を受けるのを何度も見たという。
原典より
若多分に拾ひしもの其身の貯と為す心あれば、忽罰を蒙りしを幾度か見たり—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。