東海寺の盗品と疑われた桃核の緒締め
どんな伝承か
大前某が娘を嫁がせた先の家僕がよく尽くしたので、提げ物を褒美に与えた。寛政九年の春、その家僕が来て言うには、提げ物の桃の核の緒締めを医師の山田宗固が借りていき、これは品川の東海寺の塔頭浄恵院の什物で、運慶作の十六羅漢を彫った桃核の一つが数年前に紛失したものに違いないから、高くても取り戻したいと頼まれたという。大前は、親の代から五十年持ってきた品だが、盗品と聞いて渡しておけば盗品を買ったことになると、代わりに珊瑚の玉を与えて緒締めを取り戻した。ある人が、この種の細工物は世に数多くあり清の書物にも記されていると教えたので、大前は安心したという。
原典より
其子細は運慶の作にて東海寺に持伝へし十六羅漢を彫し桃核の緒〆什物たる処、四、五年已前右の内一つ紛失せし故、—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。