風土気性等一概に難極事
どんな伝承か
新見加賀守が長崎奉行を務めていたある年、長崎の町の三分の一が焼ける大火があった。長崎始まって以来の大火で、奉行所も救済の手当てをした。長崎の人々は人知れず善行を積む隠徳を篤く信じており、浜辺に米を三百俵ほど積んで、わずかながら貧しい者を救ってほしいと札を立てる者や、火元の名を借りて銀箱を役所へ差し出す者があったという。同じ年に長崎で在番していた者の話である。交易で利に走る土地と思っていたが、この話を聞けば一概に卑しめるべき所ではないと記している。
原典より
崎陽は交易専らにて、利に走る土地とおもひしに、此咄しを聞ばあながち賤しむべき所とも思はれざる故、ここに記し置ぬ。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。