宗泰院の湯灌をのぞいた男の墓暴き
どんな伝承か
市谷の宗泰院の檀家である町人に器量のよい娘がいたが、文化六年の夏、風邪のような病で亡くなった。遺体は宗泰院に送られて境内の湯灌場で湯灌が行われたが、近くの武家の家来とおぼしき男がそれをふとのぞき見て、かねて娘に心を寄せていたのか邪な思いを起こした。男は夜になって墓を掘り返し、遺体を取り出して添い寝し、夜明けが近づくと寺の縁の下へ投げ込んでおいた。墓を見回った住職が見つけて驚き、施主に知られてはと内々に調べたところ、怪しい男の仕業と分かり、厳しく咎めて追い払ったという。
原典より
右の旦方町人に娘有て容色もありしが、文化六年の夏、風の心地にて身まかりぬ。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。