浦賀朝日亭に出た河豚死の落語家
どんな伝承か
明治十三年、大阪から東京へ出てきた落語家の菊寿が浦賀の朝日亭で興行した。昼間は毎日釣りに出たが河豚しか掛からず、ある日、釣った河豚を楽屋で自ら料理して食べたところ、夜中から苦しみ出し、明け方に死んでしまった。その後、東京の芸人が朝日亭へ行くと夜中に決まって菊寿が現れるというので、行き手がなくなった。怪談を売り物にする先代林家正蔵は、怪談の家元が怖がっては名折れだと一座を率いて乗り込んだ。廊下にぼんやり立つ影に「おい菊さん」と近寄ると消え、翌日追善供養をするとそれきり出なくなった。
原典より
其後正藏が便所へ行くと、廊下で何やら朦朧と立つてゐる者がある—— 幽霊は語る(梶天真・1938年(昭和13年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
幽霊は語る(梶天真・1938年(昭和13年))
『幽霊は語る』は、梶天真が編んだ幽霊譚と幽霊論の集成で、昭和十三年に文明社から出た。新聞・雑誌の記事や井上円了・柳田國男・高峰博らの所説、古典の文を出典を添えて引き、葬送の習俗や布哇の霊魂観から説く幽霊思想、幻覚や網膜による説明、乃木大将が見た我が子の幽霊などの実話を集める。三篇に分かれ、第二篇は男女の幽霊・怨霊・生霊・小児の見た幽霊・前知らせなど八項、第三篇は幽霊写真・化物屋敷・霊界通信を扱い、巻末を夕張と筑前の幽霊問答で結ぶ。