遺骨を踏まれた武士の霊の恨み
どんな伝承か
幽魂は、当家の父も自分の遺骨の上で病にかかり、遺骨を踏んだために憑いたのだと語った。市治郎も七月四日に曾祖父の墓の傍らを踏んだとき、総身に悪寒を覚え、それから病んだのだという。宮崎加賀守が切腹の場所と姓名を問うと、幽魂は一基の石碑を建ててくれれば立ちどころに此家を立ち退くと答えたが、武士の義を理由に姓名を明かそうとしない。宮崎氏は、姓名を刻まぬ石碑を建てるのは神道の式に背くと拒み、押し問答となった。医師の吉富も言葉を尽くして名乗れと迫った。
原典より
市治郎は七月四日會祖父の墓の傍の少し東……を踏んだ時に総身……を感じ、それから……に罹つたのださうです。—— 幽霊は語る(梶天真・1938年(昭和13年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
幽霊は語る(梶天真・1938年(昭和13年))
『幽霊は語る』は、梶天真が編んだ幽霊譚と幽霊論の集成で、昭和十三年に文明社から出た。新聞・雑誌の記事や井上円了・柳田國男・高峰博らの所説、古典の文を出典を添えて引き、葬送の習俗や布哇の霊魂観から説く幽霊思想、幻覚や網膜による説明、乃木大将が見た我が子の幽霊などの実話を集める。三篇に分かれ、第二篇は男女の幽霊・怨霊・生霊・小児の見た幽霊・前知らせなど八項、第三篇は幽霊写真・化物屋敷・霊界通信を扱い、巻末を夕張と筑前の幽霊問答で結ぶ。