泉熊太郎と名乗る
どんな伝承か
霊は医師の吉富養貞に、先ほどの御剣が身に染みて忘れがたい、もう一度あの人の剣で加持を受けたいので頼んでほしいと言った。その言葉は加賀の訛りで、大名が家臣に命じるような口ぶりだったという。宮崎加賀守は、名を聞かぬうちは石碑の建立も加持も承知できないと迫り、吉富も言葉を添えた。霊は、願いを遂げられずに果てて数百年打ち捨てられた苦しみを語って涙を浮かべ、しばらくうつむいていたが、やがて筆を借りて泉熊太郎と名を記した。石碑の正面には七月四日と書けばよい、名は決して世に漏らすなと言い、自ら筆を取った文字は見事だったという。
原典より
かく述べた時の言葉は、如何にも加賀……にて、大名などが……に申すべき言ひ振りであつたさうです。—— 幽霊は語る(梶天真・1938年(昭和13年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
幽霊は語る(梶天真・1938年(昭和13年))
『幽霊は語る』は、梶天真が編んだ幽霊譚と幽霊論の集成で、昭和十三年に文明社から出た。新聞・雑誌の記事や井上円了・柳田國男・高峰博らの所説、古典の文を出典を添えて引き、葬送の習俗や布哇の霊魂観から説く幽霊思想、幻覚や網膜による説明、乃木大将が見た我が子の幽霊などの実話を集める。三篇に分かれ、第二篇は男女の幽霊・怨霊・生霊・小児の見た幽霊・前知らせなど八項、第三篇は幽霊写真・化物屋敷・霊界通信を扱い、巻末を夕張と筑前の幽霊問答で結ぶ。