村人百三十二人が支えた御鍬大神宮の祭
どんな伝承か
宝飯郡長山村、のちの一宮町上長山の区有文書に、慶応三年八月二十日付の御鍬大神宮御祭礼の帳面がある。御鍬社の祭りに際し、村民百三十二人が金七両二分三朱と銭三十一貫余りを出し合った人ごとの明細と、祭りに要る糀や酒、半紙、米、蝋燭、提灯、油などの出入りが記され、最後に庄屋・組頭・百姓代が改めている。商人の領収書も一枚挟まっていた。村の若宮八幡神社には豊受比売を祀る御鍬神社があり、由緒は分からないものの、杉板葺きの小さな社だったと伝わる。
原典より
御鍬百年祭の流行経路をさぐる一つの手がかりとして、最近見出した宝飯郡の豊川周辺の御鍬百年祭の史料を紹介しよう。—— ええじゃないか始まる(田村貞雄・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・1986年(昭和61年))
『ええじゃないか始まる』は、田村貞雄が一九八六年に著した幕末の民衆運動「ええじゃないか」の研究書である。慶応三年に三河から遠江・駿河へ広がった御札降りの発端を、牟呂村の「二夜三日正月」、御鍬百年祭、吉田宿の助郷騒動、秋葉信仰との関わりから、村方の文書や日記、市町村史の史料をもとに追う。はしがきに続く八章で発端から波及、仕掛人をめぐる諸説、祭の後の「代替わり」までを論じ、主な史料はその原文を別組で示す。