本宮山の怪火を打った火の番の長助
どんな伝承か
三河の御油と吉田の間に小田淵畷という所がある。夏になると、北へ三里ほどの本宮山から小さな提灯ほどの火が出て小田淵へ飛んできては、行き交う人のすぐそばまで来て燃え、南の蔵王山まで行ってはまた戻り、明け方に本宮山へ帰って消えた。ときには数百に分かれることもあり、雨の夏の夜に多く出たので誰もが見ていた。吉田の町はずれで火の番をしていた長助は、あの火は金銀の精だという噂を聞き、番所の近くへ来た火を棒で打った。火は音を立てて地に落ちたかに見えたが、元の姿に戻って本宮山へ飛び去り、長助は仰向けに倒れて骨を打ち損じ、いざって歩く身となり、ついに物乞いになって死んだという。
原典より
彼の火颯と鳴つて地に落つろかと見えしが。—— 炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年))
『炉辺叢書 筑紫野民譚集』は、及川儀右衛門が筑紫野で暮らした二年ほどの間に、土地の故老や下宿の老婆から聞いた話、教え子が書き送ってきた物語を文献とも照らしてまとめた民譚集である。筑後を中心に筑前・肥前・肥後・豊前・豊後の河童、怪火、長者の話、神事と歌舞、山と水の伝奇、狐狸や幽霊の怪異を六篇に分けて収め、多くの話に古記録を引いた〔註〕を添える。序の日付は大正十二年六月である。