刈谷町の七日七夜祭と十念寺の秋葉札
どんな伝承か
刈谷町では慶応三年九月十五日に御札降りが始まり、十一月三日までに百八十九枚が降ったことが町方庄屋の留帳に記されている。近年の集計では秋葉三尺坊大権現の札が七十一枚で全体の四割近くを占め、南無阿弥陀仏の札十九枚、伊勢神宮十八枚が続く。最初の二日で十八枚が降ると、町は七日七夜にわたって釣提灯をともし、笛や太鼓でにぎやかに祝い、四つの町から裸馬を出した。二十二日には十念寺の境内にも秋葉大権現の札が降り、寺からも俄や笹馬を出した。以後は札が降るたびに七日七夜の祭が続いたが、十月末には笛太鼓を一日に限る制限を町庄屋が出している。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・1986年(昭和61年))
『ええじゃないか始まる』は、田村貞雄が一九八六年に著した幕末の民衆運動「ええじゃないか」の研究書である。慶応三年に三河から遠江・駿河へ広がった御札降りの発端を、牟呂村の「二夜三日正月」、御鍬百年祭、吉田宿の助郷騒動、秋葉信仰との関わりから、村方の文書や日記、市町村史の史料をもとに追う。はしがきに続く八章で発端から波及、仕掛人をめぐる諸説、祭の後の「代替わり」までを論じ、主な史料はその原文を別組で示す。