五十日で百九十枚が降った刈谷
どんな伝承か
三河の刈谷町では、慶応三年九月十五日から十一月五日までの五十日間に、百九十枚の札が降った。いちばん多かったのは秋葉山で、南無阿弥陀仏、天照皇太神宮、津島牛頭天王がこれに続いた。町をあげて長い期間騒ぎ続け、十月下旬になってようやく下火になったという。札が降った家には、幕末の町役人や地主など町の重立った者がほとんど含まれており、こうした商人たちは夜の商売を休んだり、酒や料理をふるまったりした。
原典より
刈谷町では、九月十五日から十一月五日までの五〇日間に一九〇枚が降った。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。