武蔵、飯粒を刀で切り割る
どんな伝承か
晩年の武蔵が、小倉小笠原家の家臣島村十左衛門の屋敷でもてなしを受けていたとき、門人の青木条右衛門が面会を求めてきた。剣について問答したのち、武蔵は機嫌よく、もうどこで指南してもよいと褒めた。ところが青木が木刀を袋にしまうとき、紅の腕貫をつけた木刀がのぞいた。試合を申し込まれたときに使うものだと聞くと、武蔵はたちまち不機嫌になり、未熟者が試合などもってのほかだと叱りつけた。そして十左衛門の小姓の前髪の結び目に飯粒を一粒つけて数尺先に立たせ、上段から刀を振り下ろして飯粒を真っ二つにすることを三度見せ、これほどの腕でも勝つのは難しいと戒めた。
原典より
そして十左衛門の小姓を側に呼び、その前髪の結び目に一粒の飯粒をつけ、数尺隔て、向こうに立たせ、刀を抜いて上段より打ち落して、飯粒を真二つに切り割って見せること三度に及んだ。—— 観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
観念は生物なり(福来友吉・心霊・念写研究)
『観念は生物なり』は、福来友吉が諸雑誌に発表した論文を集めた心理学と心霊研究の論集で、日本心霊学会刊、序は大正十四年春に箕面山の麓で記されている。観念と身体の関係、夢、潜在精神と病気、プランセット(自動書記)、狐憑病の伝染や尼寺のヒステリー、宮本武蔵の剣道などを論じる。明治四十三年以来接した御船千鶴子・長尾郁子・三田光一ら八人の通力者の透視と念写の実験も報告し、「観念と身体との関係」から「生命学と心霊研究」までの十四篇を収める。