両眼の光を失った赤木忠春
どんな伝承か
美作国久米南条郡八出村の中庄屋の家に生まれた赤木忠春は、学問を好む秀才で、十九歳のとき同じ郡の中籾村の大庄屋、赤木常五郎の養子となった。天保八年、二十二歳の忠春はたちの悪い眼病にかかり、あらゆる治療を尽くしたが効き目はなく、ついに両目とも見えなくなった。叔父の西村斎助は早くから黒住宗忠の門人で、宗忠の禁厭を受けよとしきりに勧めたが、忠春は宗忠を人を惑わす巫祝のたぐいと笑って相手にせず、とうとう叔父から絶縁された。のちに播州の名灸を頼って出かける途中、ようやく自分の非を悟ったという。
原典より
天保八年(一八三七)二十二歳のとき、忠春悪性の眼病をわずらい、ついに両眼とも失明するに至った。—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年))
『近代日本霊異実録』は、笠井鎮夫が著して昭和四十一年に昭森社から初版を出した、幕末から近代の神憑りと霊異の記録で、ここに収めるのは昭和四十八年に山雅房から出た複刻版である。金光教・黒住教・天理教・大本の教祖の神憑り、井上正鉄の求道、宮地常磐・堅磐父子や河野至道の神仙譚、天狗の弟子寅吉の話、長南年恵の奇跡などを、手記・写本・旧著を引いて語る。全十二録からなり、第一録には金光教に入信した著者の父の手記を収め、巻末にあとがきと著者略歴を置く。