庄屋宅に九回押しかけたお蔭踊り
どんな伝承か
天保元年、伊勢へのお蔭参りの流行に呼応して、村から村へ群れをなして踊り歩く「お蔭踊り」が広まった。阿波で始まったと伝わり、「お祓様降り」とともにたちまち各地へ伝わったという。南刀根山村には四月十一日から五月までのあいだに他村の踊りの群れが十四回も訪れ、そのうち九回は庄屋甚兵衛の家に押しかけた。今宮村・瀬川村・半町村などから来た一行は九人から三百人に及び、迎える家は振舞いを用意しなければならず、群衆の勢いに紛れて私怨を晴らす者もいた。踊りの音頭には掛け銭の支払いを無視する文句が入り、借りの返済の先送りなども公然と行われて、村の秩序はしばらく麻痺した。
原典より
この年の四月十一日から五月にかけて、南刀根山村だけで他村からの集団の踊りが一四回もやってきており(第60表参照)、このうち庄屋甚兵衛宅に押しかけたのは九回を数えた。—— 豊中市史 本編 第2巻(豊中市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
豊中市史 本編 第2巻(豊中市史)
『豊中市史 本編 第2巻』は、豊中市の市史本編の一冊で、ここにはその近世の民衆の動きを記した数頁を収める。天保元年(一八三〇)のお蔭参りとお蔭踊り、慶応三年(一八六七)秋からのお札降りが豊嶋郡の村々に広がった様子を、刀根山村や熊野田村の記録によって述べ、盲人が喜捨を求めて村々を回った事件にも触れる。刀根山村へのお蔭参りの押しかけを日付・村・人数ごとにまとめた第60表を挟む。