藩主も見物した飯田の再度の降札
どんな伝承か
慶応三年十一月二十五日、飯田の町にまたもお札が降った。町じゅうが旗や囃子、屋台で埋め尽くされるほどのにぎわいとなり、城の大手門には藩主までが出てきて、その様子を見物していたという。
原典より
なお飯田では、十一月二十五日にふたたびお札が降り、町内中が旗・囃子・屋台で満ち、大手門には藩主が出て見物してさえいた。—— 長野県史 通史編 第6巻(長野県史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史)
『長野県史 通史編 第6巻』のうち、第七章第五節「木曽騒動とお札降り」の二「お札降り」の項を収める抜き書きで、冒頭は佐久地方の村方騒動と軽井沢宿の打ちこわしを述べる段の途中から始まる。慶応三年七月に三河で始まったお札降り・ええじゃないかが伊那谷と中山道を経て信濃に広がり、下伊那・上伊那・高遠・諏訪・木曽・松本平・北信の村や宿場で降札と祝祭が起きたさまを、村の記録や日記からたどる。最後に世直りへの期待と維新との関わりをまとめる。