長石寺まで踊り込んだ飯沼の若連中
どんな伝承か
下黒田村の中村家に札が降ったのをきっかけに、隣り合う上黒田村と飯沼村でも祭り騒ぎが起こった。上黒田村では道を行く人にまで振る舞いをし、その費用は村中で割って負担している。飯沼村では中老と若連中の四十人あまりが列を組み、八幡から時又を通って時又村の長石寺まで踊りながら練り歩いた。道中では他村の若連中も次々と加わったという。この踊り込みにかかった入用は、あとから中老と若連中あわせて六十二人に割り当てられた。村の若い衆が費用まで背負って騒ぎを担っていたことが分かる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史)
『長野県史 通史編 第6巻』のうち、第七章第五節「木曽騒動とお札降り」の二「お札降り」の項を収める抜き書きで、冒頭は佐久地方の村方騒動と軽井沢宿の打ちこわしを述べる段の途中から始まる。慶応三年七月に三河で始まったお札降り・ええじゃないかが伊那谷と中山道を経て信濃に広がり、下伊那・上伊那・高遠・諏訪・木曽・松本平・北信の村や宿場で降札と祝祭が起きたさまを、村の記録や日記からたどる。最後に世直りへの期待と維新との関わりをまとめる。