法華寺に降った一万度のお祓
どんな伝承か
諏訪郡では慶応三年十一月一日付で高島藩が禁令を出したが、この地方の降札はむしろ十一月に多く、四日以降も津島牛頭天王や秋葉山、日光大権現、諏訪大明神などの札が途切れ途切れに降った。神宮寺村の法華寺には十八日の夜、皇太神宮の札と一万度のお祓が降りてきた。寺では翌十九日に村の者や近隣の村々の人びとを招いて酒宴を開き、近所の者や親しい者には食事もふるまったという。
原典より
神宮寺村(諏訪市)の法華寺には、十八日夜に皇太神宮と一万度のお祓が降り、翌十九日は村方と周辺村の人々をまねいて酒宴をもよおし、近所と懇意のものへは飯も出した。—— 長野県史 通史編 第6巻(長野県史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史)
『長野県史 通史編 第6巻』のうち、第七章第五節「木曽騒動とお札降り」の二「お札降り」の項を収める抜き書きで、冒頭は佐久地方の村方騒動と軽井沢宿の打ちこわしを述べる段の途中から始まる。慶応三年七月に三河で始まったお札降り・ええじゃないかが伊那谷と中山道を経て信濃に広がり、下伊那・上伊那・高遠・諏訪・木曽・松本平・北信の村や宿場で降札と祝祭が起きたさまを、村の記録や日記からたどる。最後に世直りへの期待と維新との関わりをまとめる。