西羽田村に降った最初期の伊勢御祓
どんな伝承か
三河の国学者羽田野敬雄の記録によれば、慶応三年七月二十四日の時点で、吉田近辺の草間・牟呂・野田新田・萱町などでは伊勢の御祓が降ったとして祝い祭っていた。吉田でも二十二日に、西羽田村の次郎兵衛の前屋敷に伊勢の御祓が降ったと村役人に届け出があり、羽田野家にも知らせが来たので、この地方で盛んだった御鍬祭りと一緒に祝うことに決めたという。これは「お札降り」と「ええじゃないか」の現在知りうる最も早い例とされ、騒ぎの始まりには、おかげ参りよりも村ぐるみで祭って村送りする御鍬祭りの伝統が生きていたと著者はみている。
原典より
当所(吉田)にても、廿二日西羽田次郎兵衛前屋敷へ伊勢の御祓降下れりと村役人へ指出、当家(羽田野家)へも申来候間、幸ひ御鍬と一同に可祝と相極候。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。