池田天真依頼の透視実験
どんな伝承か
明治四十三年十二月二十三日に上京した著者は、しばらく神田の今村家に身を寄せた。その間に、千葉県の池田天真という人から今村家へ透視の実験物が届き、透視してほしいと頼まれた。十二月二十七日、今村夫人の立ち会いで貞子に透視させると、ハンダで封じた一つ目の中身は君親師正道の文字だと答えた。年が明けた明治四十四年一月五日にも、同じ家で夫人の立ち会いのもと次の一つを透視させ、又の字を刻んだ印判だと見抜いた。三個とも的中したと今村家を通じて知らせがあったが、何のための実験だったのかは、依頼主の側からついに何の説明もなかったという。
原典より
以上三個共的中の旨今村家を通じて通信があつた、然し此透視は何の爲めの實驗であつたのか、今に其消息は依頼者たる本人より申出てがないのである。—— 修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。