須沢の暴風雨と難破船
どんな伝承か
六人の遺体の葬送が済んで三日目、著者は北城村を発ち、越後糸魚川へ出て日本海岸を迂回する旅に出た。姫川の激流を右手に見ながら十三里を歩き、午後四時半に糸魚川町に着いたが、そこには泊まらず、さらに一里歩いて次の宿駅である須沢の旅館に入った。その夜十二時過ぎから暴風と豪雨となり、日本海沿岸は大荒れになった。午前二時頃からはいっそう激しく、表通りでは警鐘が鳴り、叫喚が上がり、難破船の騒ぎが始まった。宿の主人は、海岸で漁船が十二、三艘も流失し、漁家の倒壊も少なくないと報告した。雨は正午頃にやんだが風は収まらず、大道を通る者もなく、著者は思わぬ休養を旅宿で送ることになった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した精神修養と千里眼の実験記録である。深呼吸による修養法を説き、焼岳など日本アルプスの険しい山での修養、千里眼の能力を得た婦人を四年間養った経緯、福来博士との会見と透視・念写の実験を記す。第一編「実験四年」を巻ごとに分けて修養と通力の記録とし、第二編に深山幽谷の旅や雪中の遭難、霊所の探訪の紀行を収める。