高麗川吾野を沈めた山崩れ
どんな伝承か
神嘗祭の前日、旧友の松本君と二人で秩父へ遊びに行くとて、高麗川の谷を登った。吾野の宿は昔の秩父街道の大駅で、今も絹と杉材の取引が盛んである。この夏の大水で、この部落は一たび沼の底になった。坂石町分の下手で対岸の山が半分崩れ、一時高麗川の流れを断ち切ったためである。川のこちらの岸では建てて間もない家が四、五軒押し潰され、大雨の真夜中だったため二十四人が土中に埋められ、一人も救われなかった。土を掘り川の水も押し流すが、まだ一人の姿も見ることができないという。天然の大塚の上には大きな四角な卒塔婆が立てられ、傍の大木へ布の綱が引き渡してあった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。