野原から拓かれた末野の入植
どんな伝承か
三田市の末野は、もともと末の野原であった土地である。明治の初め、郡塚のそばに住んでいるのだから郡塚を名乗れと壬申戸籍に登録された郡塚家が草分けとされる。明治四〇年ごろには大阪から中西氏が、本庄村から林山氏と前中氏が入植し、その後兵庫県が耕地整理を進めたことで入植者はさらに増えた。戦後は海外からの引揚者も加わり、いまでは六十戸あまりを数える。なお末野には、もとは末西に属していたが、米の供出割当をめぐるもつれから末西を離れて末野に移った家が数戸あるという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
兵庫県民俗調査報告8――伝説(兵庫県(編)・兵庫県民俗調査報告)
『兵庫県民俗調査報告8――伝説』は、兵庫県の民俗調査報告の一冊のうち、第10章「口頭伝承」を収めたものである。三田市の乙原・小野・尼寺・青野・末の各地区を対象に、集落の発祥や神社、廃寺、城跡にまつわる伝説、天狗に導かれたという松住大権現、狐狸の怪、狼の話などを、聞き書きと『門野氏郷土物語』などの郷土の記録から記す。伝説のあとに昔話とわらべ歌を続け、わらべ歌は地元の中学校生徒会の協力で集めた尻とり歌や羽根つき歌を載せる。