戦に敗れて隠れ正月をした神明の加藤
どんな伝承か
北中丸の「神明の加藤」と呼ばれる三六軒は、全戸ともお供え餅を作らず、門松も立てない。戦に負けて「隠れ正月」をしたのだ、という話が伝えられている。北中丸には三が日に餅を食べずうどんを食べ、さらにお供え餅も作らない家が多く、加藤国明家、加藤善三郎家、新島清作家などがあり、これを「隠し餅」と呼んでいる。なかでも関口欣一家では三が日に雑煮を食べず、「おうどんのうちいれ」(煮込みうどん)ですませていたという。
原典より
また、北中丸の「神明の加藤」三六軒は、全戸ともお供え餅を作らず、門松もたてない。—— 北本市史 第6巻(民俗編)――伝説(北本市(編)・北本市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
北本市史 第6巻(民俗編)――伝説(北本市(編)・北本市史)
『北本市史 第6巻(民俗編)――伝説』は、北本市の市史民俗編のうち、第十一章「伝説・世間話・昔話・諺」の冒頭部分である。章の「はじめに」で四者の性格を説いたのち、第一節「伝説」に蒲桜・龍灯杉・一夜堤や多くの塚の伝承、送りオオカミ・河童・禁忌動物、おたきあげ・十日夜の由来など四十二項目を収める。多くの項目は見出しに石戸宿・高尾などの伝承地を添え、話者名や「埼玉県伝説集成」などの出典を▽で示す。(197字)