母と娘を弔う親抱きの松
どんな伝承か
後醍醐天皇の時代、北条仲時の家臣南条左衛門正春は宇都宮公綱の軍に加わって各地で戦い、討ち死にした。京都に住む妻の倉橋登美留は悲報を聞き、宇都宮氏に預けていた娘の小桜にひと目会おうと旅立ったが、宇都宮を目前にした稲葉の地で旅の疲れから急死した。急いで駆けつけた小桜は母の死に目に会えず、この地に庵を結んで念仏を唱え母を弔ったが、やがて病で亡くなった。村人は母子のために塚を築いて大小二本の松を植え、大きな松が小さな松を抱くような姿になったので親抱きの松と呼んだ。吉良上野介もこの話に歌を詠んだと伝わる。
原典より
いつしか大きな松(母の松)は小さな松(娘の松)を抱くような格好になったのでこの二本の松を「親抱きの松」と呼ぶようになったという。—— 壬生町史 民俗編――伝説(壬生町(編)・壬生町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
壬生町史 民俗編――伝説(壬生町(編)・壬生町史)
『壬生町史 民俗編――伝説』は、壬生町史民俗編のうち昔話と伝説の章を収めたものである。町史編さんの調査で町内の古老から集めた昔話を方言を生かして再話し、話者名を添えて動物昔話・完形昔話・笑い話・世間話に分けて並べる。伝説は吉次の墓・親抱きの松・大御堂などを動植物・歴史上の人物・塚と渕・神仏・地名に分け、地元の伝承に『郷土誌』『壬生領史略』などの文献からの引用を交えて載せ、一部の話に解説を付す。