榎の洞から湧いた霊泉と水稲荷
どんな伝承か
東京の高田戸塚に鎮座する稲荷は、もと戸塚村の産神であった。元禄十五年の四月、神のお告げがあり、境内の榎の洞から泉が湧き出したという。眼を病む者がこの水で目を洗うと、たしかに効きめが現れた。そこで土地の人々は、この社を水稲荷とも呼ぶようになったと伝わる。富士川游は、稲荷の本来の神格が忘れられて狐と結びついていった経緯を述べたうえで、各地の稲荷に付いた渾名の由来を集めており、水稲荷をその筆頭に置いている。
原典より
* **水稻荷**(東京、高田戸塚):戸塚村の産神とす、本地仏聖観世音は南都徳一大師の師なり。—— 迷信の研究(富士川游(監修)・富士川游・医学史/迷信研究・1932年(昭和7年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
迷信の研究(富士川游(監修)・富士川游・医学史/迷信研究・1932年(昭和7年))
『迷信の研究』は、富士川游が東京の中山文化研究所で監修し、昭和七年二月の緒言を付して世に出した迷信の解説書である。迷信を思考の錯誤ととらえ、その発生の由来を説いたうえで、身体・精神・疾病・妊娠と出産・育児・禁厭・相法・卜占・天文と暦・犯罪などの欄ごとに迷信の事例を挙げ、科学的な説明を加える。同研究所の展覧会に使った説明のポスターをもとに簡潔にまとめ、巻末の奥書に参照した独逸と日本の文献を掲げる。