妙見の童子が将門を助けた禅福寺
どんな伝承か
筒戸の普門山禅福寺は承平元年に平将門が創立したと伝える寺で、初めは密教の寺だったが、後に明心和尚が今の宗旨に改め、天龍寺の夢窓国師を招いて開山としたという。縁起によれば、将門が伯父の良兼と常陸で戦った折、大河を前に渡れずにいると一人の童子が現れて浅瀬を教え、戦の最中には敵の矢を拾って将門に与え、弓を助けて十矢を射落とした。勝った将門が名を問うと、童子は正直で武勇の者を守る妙見であり、上総国花園にある十一面観音の垂迹だと告げ、自分を迎えれば守護すると言って消えた。将門は花園から観音を迎えて信心し新皇と称したが、驕って神慮を恐れなくなると妙見の守護を失い、天慶三年正月に秀郷に討たれたと伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。