将門が高野山に模した海禅寺
どんな伝承か
高野村の海禅寺は、平将門が守谷に偽の都を築いた際、紀州高野山になぞらえて先祖の墓所として創建したと伝わる。寺には将門の霊を祭る堂があり、これを国王明神(国平明神)と称する。将門滅亡ののちも、奥州相馬家が宗家の菩提寺として毎年欠かさず寄進し、享保十八年五月一日には相馬侯が参勤の途次にこの地に一泊して祖先の霊を拝したという。高野という村名も、将門が高野山になぞらえて九十九坂の難所を設けたことにちなむと語られる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。