例三 軍醫總監へ現はれた亡女の姿
どんな伝承か
明治四十二年七月、陸軍軍医総監松本順の大磯の別邸に、外務大臣林董の令息や歌舞伎役者の三津五郎、その弟の守田勘弥らが遊びに行った。八畳の座敷で騒いでいると、隣の書斎で松本が「ア、能く來たなあ」と言う声がし、振り向くと島田を崩した若い女が座っていた。二十分ほどして呼ばれ、便所に入ったきり出てこないというので庭まで探したが見つからない。そこへ電報が届き、松本は、長年診てきた千葉の豪家の娘で先ごろまで大磯で養生していた者が死んだとあるから、今のは礼に来た幽霊だと言った。
原典より
明治四十二年の七月のこと、陸軍々賢總監松本順氏の大磯の別邸へ、外務大臣林董伯の令息や、歌舞伎役者の三津五郎やその弟の守田勘彌などが遊びに行ったことがあつたが、座敷は八疊で大勢騒いで居ると、その次が主人の書齋で、主人はそこ…—— 心霊不滅(岡田建文・岡田建文・心霊研究・昭和初期) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
心霊不滅(岡田建文・岡田建文・心霊研究・昭和初期)
心霊研究家・岡田建文の『心霊不滅』。唯物科学を批判し、肉体死後も心霊(心識)が不滅であることを古今東西の事例で立証しようとする心霊科学書。序説でイオン研究所のエーテル体撮影や、神戸の歯科医方で死去した令嬢朝子の消息を語ったセキセイインコ、タイタニック沈没時の挿話を置く。