行基が七日で刻んだ慈林寺の薬師
どんな伝承か
聖武天皇は后の光明皇后が重い眼病を患い、なかなか癒えないのを嘆いて諸神諸仏への祈願を重ねていた。ある夜の夢に「武蔵国足立の郷に霊験霊地がある。そこに薬師仏を祀って祈願すれば、后の病もたちどころに平癒するだろう」とのお告げがあった。天皇は行基を武蔵国へ遣わし、その地を捜させた。行基が足立の郷のこの地まで来ると、今の龍燈の池のあたりに後光がさし、一面が美しく光り輝いた。そこを薬師寺建立の地と定め、七日七晩のうちに薬師仏を刻んで祀ったのが安行慈林の慈林寺の薬師如来である。開眼式には勅使が参拝して三〇〇〇石が寄進され、のち宇多天皇の御代にも勅使があり、三度の勅命から山号を三勅山という。
原典より
安行慈林の「薬師さま」の由来は次のように伝えられている。—— 川口市史 民俗編――伝説(川口市(編)・川口市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
川口市史 民俗編――伝説(川口市(編)・川口市史)
『川口市史 民俗編――伝説』は、川口市が編んだ市史民俗編のうち、第四章「伝説」を収めたものである。六兵塚や首塚などの塚、山・池沼・樹木にまつわる話、八百比丘尼の椿、神社・地蔵・観音・薬師の霊験、地名の由来、正月の餅を搗かない家例や蛇まつり、川口の鋳物の始まりなどを、地内の地名や家名とともに記す。自然伝説、信仰伝説、歴史伝説の三節に分け、節の中を塚・山・池沼などの項に立てる。