異説 関の太郎(太郎坊)
どんな伝承か
十日市場には市が開かれて賑わい、薬師様が安置されて参拝者が多かった。あるとき、みすぼらしい衣の立派な体格の坊さんが来た。若いころは乱暴者で家を追われたが改心して仏門に入り、関に生まれた太郎という名から太郎坊と呼ばれた。この寺に杖をとどめると里人は深く尊敬し、寺は大いに賑わった。領主交告源吾盛康たちはその勢力を恐れ、太郎坊は鬼の化身だとして寺から追放した。太郎坊は次月の岩屋にこもり、信者は夜ひそかに訪ねた。薬師の祭礼の日、服装を変えて参拝したところ見つけられ、手向かいせず捕らえられて首を打たれた。武士たちは首をそこに埋めた。それが今の鬼の首塚で、首から上の病に霊験があるという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
御嵩町史 民俗編
『御嵩町史 民俗編』は、御嵩町の町史の民俗編のうち、第一〇章「物語・伝説」の冒頭の二節を収めたものである。第一節は、正治元年のころ上之郷の洞穴に住んだという鬼「関の太郎」の退治譚とその異説、鬼の首塚・胴塚・手塚・首洗い池の今の様子、幕末の俳人五歩が記した東濃鬼ヶ窟の由来を載せる。第二節は、御嵩で盲目の女性遊芸者を「ごじょ」と呼んだいわれと、明治以後の暮らしを記すが、途中で切れている。