裁断橋の擬宝珠に刻まれた母の願文
どんな伝承か
天正十八年、豊臣秀吉の小田原攻めに十八歳の堀尾金助が加わり、陣中で病に倒れて亡くなった。わが子にもう二度と会えない悲しみから、母は熱田の裁断橋を架け、その擬宝珠に願文を刻ませた。仮名で書かれた文には、二月十八日に送り出した子を失った嘆きと、橋を架けることが母の涙となって子が即身成仏してほしいという願い、法名の逸岩世俊が記され、後の世までこの書き付けを見た人は念仏を唱えてほしいと頼み、三十三回忌の供養だと結ばれている。著者は、この擬宝珠が見つかったいきさつが『兎園小説余録』に載ると紹介している。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の妖怪(早川純夫・早川純夫・妖怪史・1973年(昭和48年))
『日本の妖怪』は、早川純夫が一九七三年(昭和四十八年)に著した妖怪史の読み物である。『出雲風土記』『日本書紀』から『日本霊異記』『今昔物語』、江戸の『新著聞集』などの随筆までの古典に記された妖異を、かかわりのある実在の人物や事件とともに古代から近世へ時代順にたどる。全八章で、引用は意訳を交えて『』でくくり、仏教談や霊験談、地方の民話はおおむね除き、第七章には江戸の見聞録から選んだ二十話を並べる。