十三人塚
どんな伝承か
里見氏は成義、義通と継ぎ、義通が嗣子なく没したため弟の義豊が家を継いだ。義豊がまだ幼かったため、旧領の回復を念じていた安西・神餘・丸・東條の諸氏が動き、客臣として迎えた正木氏との間にも争いが生じた。天文元年、糟屋内膳の告げを信じた義豊は正木時綱を殺し、その子時茂は囲みを脱して勝山に拠った。天文三年四月六日、里見義堯が勝山に拠って義豊を攻め、義豊の軍は犬掛で敗れ、義豊も瀧田村で戦死した。安房郡瀧田村大字下瀧田の里に十三人塚と呼ばれるものは、義豊と軍士十三人をその戦死の地に埋めた塚であると伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 安房の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・江戸~明治時代)
藤沢衛彦編『日本伝説叢書 安房の巻』を全186話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。