紀州から来た漁民と日澄寺の女寺
どんな伝承か
千葉県安房郡天津小湊町天津の真宗善覚寺は、天津地区内だけで総檀家百八十八を数え、そのうち二割強の三十九軒が半檀家であった。相手寺としてとくに目だつのが日蓮宗の日澄寺で、十九戸が日澄寺との半檀家、しかもそのうち日澄寺を女寺とする家が多い。善覚寺の檀家には墓石からみても紀州出身者が多い。紀州その他西国からの移住者が徳川時代の初期にこの地へ多数入りこみ、当地漁業の繁栄をもたらしたことは、文政八年に五代目大仲間六右衛門が子孫のため書き残した古文書にも明らかで、彼らが土地の婦人をめとり、その婦人が生家の寺との関係を絶ちきれずに日澄寺の檀家であり続けたためではないかとみられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊魂の行方(最上孝敬・最上孝敬・葬送民俗・1984年(昭和59年))
『霊魂の行方』は、最上孝敬の葬送習俗に関する論説を集め、名著出版が昭和五十九年に刊行した論集である。死者の霊を家から送り出す霊送りやカラダビ、骨掛け、男女別墓制と半檀家、無縁仏、盆と施餓鬼、葬儀の水など、千葉・埼玉をはじめ各地で聞き取った習俗と既刊の報告をもとに論じる。「霊送りとその周辺」「葬送の諸問題」「葬祭の民俗」の三章に二十八篇を収め、巻末に初出一覧、大島建彦の解説、年譜、著作目録を付す。