岩殿山と比企能本
どんな伝承か
建仁三年九月末の月の美しい夜、岩殿山の正法庵に、深網笠に顔を隠した墨染の衣の女が老いた下僕を一人だけ連れて訪ねてきた。庵主が迎え入れると、女は比企能員の妻であった。将軍頼家が伊豆の修善寺に幽閉され、大殿は名越の北条の館で討たれ、比企谷の館も攻められて一族郎党が討死・自害したこと、自分は胎内の子のために落ちのびてきたことを語った。庵主はくつわ虫を根絶やしにさせて人目を欺き、二人をかくまった。その年の暮れに生まれた男児はのちの比企三郎能本で、母は翌元久元年の夏、和子を託して京へ上ったと伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史)
『東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説』は、東松山市が編んだ市史の民俗編のうち、伝説の部分を収めたものである。岩殿山の悪龍退治や比企一族の落人の話、永福寺の河童の詫証文、箭弓神社の銭絵馬、狐に化かされた話、神かくし、雪女郎など、市内の寺社・坂・沼・塚にまつわる四十六話を載せる。各話は会話を交えた語り口に書き直され、多くの話の末尾に〔 〕で由緒や文献上の注を添える。