箭弓神社銭絵馬(めおと狐)の由来
どんな伝承か
江戸の大工棟領・定助は眼病で失明に至ろうとしていたが、妻お鈴に励まされ、箭弓神社に二十日間参籠した。満願の朝、奇跡的に視力が回復した。感謝の念から、定助は三年かけて穴あき銭を集め、江戸の名高い絵師安東雪村に狐の絵を描かせ、飾師山畑源治に銭で装飾した大絵馬を製作させた。この絵馬を大八車で運び箭弓神社に奉納し、盛大な感謝祭を開いたという。その絵馬は現在も拝殿南側に掲げられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史)
『東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説』は、東松山市が編んだ市史の民俗編のうち、伝説の部分を収めたものである。岩殿山の悪龍退治や比企一族の落人の話、永福寺の河童の詫証文、箭弓神社の銭絵馬、狐に化かされた話、神かくし、雪女郎など、市内の寺社・坂・沼・塚にまつわる四十六話を載せる。各話は会話を交えた語り口に書き直され、多くの話の末尾に〔 〕で由緒や文献上の注を添える。