田島普広寺の毘沙門と押し合い祭り
どんな伝承か
田島の普広寺(曹洞宗)でも毘沙門天を祀り、押し合い祭りが行われる。二十世の佐藤観道和尚の明治二十四、五年ごろに毘沙門市が立つようになり、毎月三日は参詣者が多く、六月に大供養をした。養蚕が盛んになってからは七月十二、十三日が祭日となり、遠方からも人が集まって僧が大般若経を転読し、桟敷には二百人以上が集まった。毘沙門天は作の神・養蚕の神とされ、各地の毘沙門講は二月三日の命日に掛軸を掛けて拝み、七月十三日に普広寺の押し合いに参加した。福袋は豊作祈願の奉納で、俵や桝の代わりに木札を投げて現品と引き換えた。寺の階段の石に品物をつければ勝ちとした。本尊は浦佐の毘沙門天と同じ椿の木の幹で作ったと伝える。
原典より
田島普広寺(曹洞宗)でも毘沙門天を祀り、押し合い祭りが行われる。—— 柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信(柏崎市(編)・柏崎市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信(柏崎市(編)・柏崎市史)
『柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信』は、柏崎市史の資料集として編まれた民俗篇のうち、第四章「文化伝承」の信仰にかかわる部分を収める。柏崎市域のムラの神社とまつり、雨乞い・虫送りなどの祈願、家の神と屋敷神、民間小祠と路傍の石仏、寺と行事、修験、庚申講や米山講などの講を、聞き書きと「白川風土記」「神社明細帳」などの記録から記す。第六節「俗信」では予兆・占い・禁忌を分類して列挙し、昭和五十八年の熱田神社の年占の結果も載せる。