会津を落ちのびた高倉宮の道筋
どんな伝承か
後白河天皇の第二皇子である以仁王は、治承四年に源三位頼政の勧めで平氏討伐の兵をあげたが、宇治川の合戦に敗れた。足利又太郎忠綱の情けによって命が助かり、越後国の住人である小国右馬頭を頼って落ちて行かれたという。一行は中仙道筋を下向して上州沼田から戸倉沼山に滞在し、そこで尾瀬中納言が亡くなった。それから桧枝岐にくだり、大桃、青柳、木伏、大新田、入小屋と泊りを重ねて田島に至り、彌平次方に泊まって大内へ向かわれた。高峰峠では大風に阻まれて引き返し、のち針生の七兵衛方に泊まり、駒止峠を越えて山口から伊南川沿いにくだられたと伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
田島町史 第4巻(民俗篇)――伝説(田島町(編)・田島町史・自治体史(民俗))
『田島町史 第4巻(民俗篇)』第二節所収の伝説。福島県田島町(南会津)に伝わる自然・歴史・神仏・池淵・幽霊・妖怪の伝説を採録する。