栗生沢に葬られた大人の塚
どんな伝承か
慶応四年九月九日、田島の農民は会津の奇襲隊に合わせて田島陣屋を襲い、松の木大砲を鳴らして西軍を追い散らした。西軍の兵は水無を通り栗生沢から大カヤ峠を越えて下野へ逃げようとしたが、山中に踏み迷った。数日後の早朝、湯田仲吉と百太郎が山仕事に出ると、小屋の中から二人の芸州兵に助けを求められた。二人は握り飯を与えて送ってやるつもりで担いできたが、村相談の結果、命をとることになり、暮れ六つを合図に小屋をとりまいて銃撃した。その亡骸は村の墓地の片隅に葬られ、大人の塚が築かれた。六尺豊かな大男は芸州藩の兵を率いた山本他人輔であったといわれる。
原典より
戊辰戦争において、奥羽越列藩同盟を結んで旧幕主戦派の先鋒に立った会津軍は慶応四年正月、鳥羽伏見の戦で敗れて江戸に後退、次いで会津に引き揚げ、西軍を迎え撃つこととなった。—— 田島町史 第4巻(民俗篇)――伝説(田島町(編)・田島町史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
田島町史 第4巻(民俗篇)――伝説(田島町(編)・田島町史・自治体史(民俗))
『田島町史 第4巻(民俗篇)』第二節所収の伝説。福島県田島町(南会津)に伝わる自然・歴史・神仏・池淵・幽霊・妖怪の伝説を採録する。