船形棺を曳いた船引の地名起源
どんな伝承か
いまの田村市船引のあたりは、古くは七里ヶ沢と呼ばれ、芦の茂る人けのない土地だったと伝わる。桓武天皇の代、坂上田村麻呂が蝦夷の頭領大竹丸を討つ勅命を受けて下り、文殊本尊の加護によって勝ちを得たという。凱旋の折には、戦死した士卒の霊を船の形の棺に納め、いくつも船引川へ浮かべて曳かせ、その霊を慰めた。棺は焼いたが一つだけを残し、永く伝えるために燈明山宝船寺を建てて菩提寺とした。寺は字舘の影屋敷の東手にあったが明治の初めに廃され、跡地だけが残る。船引という地名はこの寺の起こりに由来するとされている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
船引町史 民俗編――昔話と伝説(船引町(編)・船引町史・自治体史(民俗))
『船引町史 民俗編』第十一章所収の昔話と伝説。福島県船引町(現田村市)に伝わる口承を採録する。